「句材」2017年12月
初めのうちは句が出来ないと言う。 何を詠ったらいいの分からないと言う。 何でも詠えるのが川柳と言われるのだが、その何でもがが難しいと言う。 確かにその通りなのだと思う。ちょっとヒントを記してみよう。
句材は身の回りに幾らでも転がっているので、日常の中で良く見つめることである。自然を人間を観察することが大切で、正面の視点ではなく背面や上下から見つめることである。今までは漠然としか見ていなかったものが、句材として見られるようになってくるのだから。
それが川柳眼であり、楽しみである。そして、あらゆるものは模倣から始まるので、真似る目を研くことも大切である。常に川柳の頭にして置くと句は生まれてくるので、心の言葉と遊ぶことである。句の稚拙さではなく、まず作ることが一歩となる。眼を開いて句材を拾いながら。
「自分を詠う」2017年11月
川柳が上手くなりたいと言う。その解決策はあるのだろうか。あるのなら僕も知りたいと思う。
始めて川柳を作るのだから、無から有を生み出すしかない。題詠の場合は題の意味を調べて、題を読み込んだりして句はなんとか作ることができる。要するに自分の思ったことを指を折りながら、17音にすればいいのである。
こう書くと簡単なことなのだが、そうはいかない。思いがまとまらないからである。
例えば「食べる」で作ってみよう。 ①食べてやる味覚の秋だ気にしない ②食べてやるベルトの穴は気にしない ③旬の味ヘルスメーター笑ってる ④バイキング腹を減らして食べまくる ⑤満腹の笑顔は飢餓を知らぬ舌 ⑥飽食に慣れて昭和を忘れてる
要するに1句作ってみて、思いをふくらませてみるのである。巧拙などは気にしないで、多作するのである。
心の言葉は、自由な発想を生み、私の人生の賛歌を紡いでくれる。心のふるえを楽しもう。
「心のふるえ」2017年10月
落ち葉が舞って、山々は少しずつ紅葉が始まっている。昨日(9月28日)は急に寒くなったので、居間はストーブを付けた。そして、雪虫が舞い始めた。毎年のことなのだが、夏から秋への移ろいの時は、ちょっぴりと感傷的な気がふくらむ。そして、味覚の時でもある。
作品は、心のふるえが生み出してくれると思っている。春夏秋冬の中で生かされながら、時の移ろいを肌で感じ、有情無常の風に晒されて心が揺らめきふるえる。その想いの一瞬を切り取る時が、苦楽の現実を与えてくれる。想ったことを詠う、言葉と一体となる、私の世界を広げる、それが表現することの楽しみ。17音で心のふるえを映し出す、幸せなことである。なにも難しく考える必要なんてない。
心の言葉は、自由な発想を生み、私の人生の賛歌を紡いでくれる。心のふるえを楽しもう。
「句の奥行」2017年9月
句を生み出せば出すほど、その奥行きの深さに気がつく。そして悩み、止めたくなってくる。それは川柳の世界だからではなく、何かを学ぶこととは必ずぶち当たることだと思っている。表現するとは、自分の個性を見つけ出すことであり、その個性を研くことである。
簡単に個性なんて見つかるものではなく、長い年月の努力を重ねることによって少しずつ見えてくるものである。直ぐに見つかるのであれば、誰も苦労などする必要はないのである。
今日より明日、一月より一年、一年より十年と続けることによって、朧なる奥行きが見えてくるのである。僕も四十六年も続けてきたのだが、まだまだその奥の深さは理解できないし、だからこそ模索をしているのである。到達できない謎の世界があるからこそ、面白いのである。
「一次着想」2017年8月
川柳を始めた時には、先輩方から一次着想は捨てなさいと言 れる。それではどのようにして作句すればいいのか分かりはしな い。一次着想とは、十人十色なので捨てることはないのである。着想とは、個人の創造力の所産であるから、全員が一致する 筈はないのである。
ところが題詠の場合は、着想が似通ってしま う場合が多いのも事実ではある。しかし、同じ着想であっても、い かに表現方法を変化させるかによって、違った作品が生み出さ れる。
初心者の内は、第一着想も大切にして、徐々に広げる努 力をすることが大切となる。そのためには、課題の意味を吟味し て作句することを心がけたい。
題詠はあくまでも作句の勉強の一助であるから、雑詠も作るこ とが重要である。一句に自己の想いを表現するのであるから、常 に川柳眼を研き続けることである。好き・楽しい・ちょっぴり苦しい を意識しつつ、地道に作り続けるしか道はない。
「全日本川柳大会」2017年7月
6月18日(火)に「第41回全日本川柳2017年札幌大会」が、552名の参加者によりまして盛会裏に終了しました。2年余の準備期間を経て、実行委員会の方々と、全国からの川柳人の温かい御支援とご尽力により終了することが出来ました。 全国の皆様に感謝を申し上げます。
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「語彙」2017年6月
始めて川柳を作り出すと、語彙の不足さに気付かされる。それは当たり前のことであって、何も臆することではない。
僕もそうであったから、辞書と友達になることであり、人の作品を読むことが大切なのです、と答えている。何事も模倣から始まるのだから、大いに人の作品を読み、自分の糧にして作句することが重要である。模倣と言っても、発想とか参考になる言葉を模倣するのであって、作品そのものを盗んでしまうと盗作になるので、心しなければならない。
良いと思われる、上五・下語などをノートにストックして置くと、作句の時に利用ができるので便利である。新鮮な言葉などは簡単に生み出すことはできないので、川柳誌や詩誌などを読むことも重要である。語彙を広げるためには、多読が大切である。
言葉の組み立て方と、言葉の選択が重要なので、少しでも語彙を広げるために、多読・多作を心がけることである。
「句を作り読む」2017年5月
句を作るとは、自分の想いを17音で表現することである。と文章にしてしまうと簡単なことなのだが、実際は簡単ではない。単に想いを表現するのであれば、俳句や短歌や散文であってもいい。
川柳を通して表現する、となると川柳とは何か、を理解する必要がある。この何か、が不可思議なのである。
46年間も川柳を作ってきたのだが、いまだにその深奥を掴むことは出来ずに喘いでいる。人間の喜怒哀楽を詠う、とは言われているのだが、人間を詠うことは至難である。だから僕は「川柳とは万物を映す鏡である」と定義している。自然の世界、人間の世界、を舞台にして、いかに万物を詠うのか、心の鏡に描出させるのかだと考えて作句を続けている。
そこから生まれた一句が、いかに読者に読まれ理解されるのか、が要点となる。分かりすぎる句、分かりやすい句、分かりずらい句、分からない句、この階段を上ることが重要なのである。
「想いの深さ」2017年4月
一句に何を詠わんとするのか。自分の想いである。内面にある想いを、届けよう、吐き出そう、とする欲求である。その欲求の深重をどう表現するのか、に悩まされながらも、日本語との格闘が続くのである。果てしもなく。
17音を基本形としながら、余り難しく考えずに、素直に表現しなさいと言われる。素直に表現すると、説明句だ、報告句だと指摘される。確かに川柳は散文ではないので、裏に何かが秘められている、という韻文の表現が求められる。
分かってはいても、一朝一夕にはいかない。単に川柳だけではなく、あらゆる表現の世界には、階段があり目には見えない壁がある。そこをクリアーすることによって、少しずつ前に灯りが見えてくる。そこにこそ、表現者としての喜びが生れてくる。
想いの深さと表現力は、少しずつ研かれながら、試行錯誤の中で上達していく。大海の小舟のように。
「川柳とは」2017年3月
「川柳とは万物を映す鏡である」と定義してみたのですが、分かりずらいでしょうか。川柳とは何でも詠う。川柳とは人間を詠う。と言われてきたのですが、なんとなく難しい気がしています。何でも詠えるから川柳なのかも知れませんが、さて、作る側としては焦点が定まらないような気がします。
人間を詠うとなると、自然を詠うことが出来なくなってしまいます。そこで考えてみたのが、万物を映す鏡、に結びついたのです。
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「わかりすぎる句」2017年2月
川柳を始めたころには、どうしても有りのままを表現してしまいます。
それは当然のことなのですが、有りのままとなりますと、散文となってしまいます。川柳は5・7・7音の韻を含んだ表現が求められますので、散文から一歩進める必要があります。そのためには、以下の点に注意をする必要があります。
①5・7・五音の基本を守ること。
上五は、着想の原点。中七は、上五と下五を結びつける重要な柱。下五は、一句にとっての命。発想を広げるため
や、緊迫させるための言葉の選択。
②散文ではリズム感は重要視されないが、韻文ではリズム感が重要な役目を果たす。
③5・7・5音に縮めるのではなく、着想を広げてから凝縮させるのであって、大きなものを小さく、小さなものを
大きく表現させることが必要。
焦点を絞って一句にすることが大切で、何でも詰め込み過ぎないことを、心がけて欲しい。これらがわかりすぎる句からの、抜け道なのですから。
「締めくくる」2017年1月
一年を締めくくり、新年を迎える。川柳の五・七・五音で言うならば、締めくくくりは下五で、新年は上五である。
下五の大切さは知らされてはいるのだが、なかなか思うようにはいかない。
どうしても上五から作り始めるので、中七で説明を深めて、下五で解説してしまいたくなる。下五は解説をするのではなく、逆転させる言葉の選択が求 められる。そこが読者に対して考えさせる場の提供であり、作者にとっては一句を生み出す喜びなのである。
初めの内は、理解不足であってもいい。少しずつ句の構成の面白味が分かるようになり、五・七・五音の不可思議な繋がりの妙味が理解されてくる のであるから。階段を一歩ずつ上るのと同じであり、十段目に行くのは簡単ではないのであるから。
下りの最後の一歩で転んでしまうのが落ちで、下五の一語が決め手となるのである。
だからこそ、下五には気を使うことが大切で、肯定を否定に、否定を肯定にさせる言葉の選択が求められる。
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