川柳の上達法 ㉑ 川柳の作句力

 

 

  1、作句力とは

 

      川柳を始めたのであれば、誰しもが上達を願うのは自明の理である。だが、誰もが同一に上達でき

      るのであれば、何も苦労することはない。各人によって、上達の度合いに差が生まれるからこその

      努力であり、続けることの意義が生まれるのであるから・・・。

 

      句の上達とは、判断するのはなかなか難しい。自らが上達したと感じるには、以下のようなことが考

      えられる。

 

        ① 五・七・五として一句を纏められるようになった。

 

        ② 川柳とは何か、を理解できるようになった。

 

        ③ 題詠と雑詠の作句技法を、少しは習得できるようになった。

 

        ④ 他人の作品を鑑賞する力と、評価する能力が備わった。

 

        ⑤ 句会や大会などで、少しは作品が抜かれるようになった。

 

        ⑥ 自分の作品を推敲できるようになった。

 

        ⑦ 模倣して組み立てる手法を感知してきた。

 

    これらのことをベースにしながら、少しは上達したのだと意識しつつ、更なる階段を上る努力を続け

    なければならない。

 

 

 

 

  2、壁と階段

 

      川柳を始めて二、三年になると、自らが壁を意識しだし、階段を上ることの難しさに悩み始める。

 

      たかが十七音の表現の世界ではあるが、日本語の不可思議さと、千変万化する言葉の組み立て

      方に翻弄され、一段ずつが重たく感じられてくる。その原因とは。

 

        ① 語彙の不足を意識させられる。

 

        ② 発想力や表現力が無いのではと、自己反省させられる。

 

        ③ 句が作られないと思い始める。

 

        ④ 他人の句を意識しすぎてしまう。

 

        ⑤ 句の評価に疑問を感じてしまう。

 

    大体において、新人は句会から出発するので、題詠が主となり、選者によっての評価の基準がどこ

    にあるのかと、疑問を抱くようになる。三才句と没句との質の差とは、選者の質とは、との難問にぶ

    ち当たる。

 

 

 

 

 

  3、作句力の奥義

 

      五・七・五音の謎の階段を上りながら、掴みどころのない深い沼にいかざるをえない。だがそのこと

      を、苦しみ、楽しみながら続けることにこそ、川柳をやっていて良かった、という喜びが実感となるの

      だと思っている。曽野綾子著『人間にとって成熟とは何か』より引用してみよう。「何歳でも、芸術の

      真価は、揺るぎない絶対の評価の上に立たなければならない。年寄りだから、この程度の下手さ加

      減でも通るだろう、ということは実際にはないのである。芸術は独立している。年齢も健康も一切言

      い訳にはならないのだが、世間はまだその厳しさを把握していない」

 

      二十代から小説を書き、現在八十歳になっている作家だからこその言葉だとは思うのだが、趣味

      か文学かは別の問題として、心に刺さる言葉である。

 

      さて、作句力の奥義となると難しいのだが。

 

       ① 自分の句を生み出せ。

 

       ② 自分の日々を吐き出せ。

 

       ③ 他人と比較するな。

 

       ④ 川柳を心の友とせよ。

 

         とでもなるのであろうか。続けることは、好きになること、苦しみ楽しむこと、日本語に惚れること、

    ではないだろうか。一句の積み重なりが人生となり、人間となっていくのであるから、その幸せに感謝

    し、十七音と川柳人との結びつきに有り難うと言わざるをえない。