川柳の上達法 ⑫推敲の技法

 

 

  1・総論

 

            一句を生み出すためには、発想して構想を練り言葉に置換えるプロセスを経ながら、手直しを加え

        て、作品を最終的な形に整えていく作業が必要となる。これらの一連の作業をいかに的確におこなうか

    否かによって、一句の良し悪しが決定ずけられるのである。 

      だからこそ推敲が重要視されるのであり、一句の作品としての価値観までが試されるのである。出来

        上がった句をよく吟味して、より良い一句として生み出すことが推敲の醍醐味なのである。 

          推敲という言葉は、唐の詩人賈島(かとう)の詩の一節で「僧敲月下門」と「僧推月下門」のどちらかを

        取るべきかに迷って、鞍上に伸吟していると、時の権知事韓愈(かんゆ)の儀衛に衝突し、先輩韓愈の

    助言で、「敲」(たたく)に定めたという逸話によっている。 

      推敲とは一度できあがった句を、いろいろと考えて練り直す過程のことで、句ができあがってから、少

      し間をおいてから推敲するとよいとされている。できあがった一句をどのように推敲したらよいのかは、

    なかなか難しい問題である。だが推敲をする意欲が大切なのである。

 

      芸術家の岡本太郎は「今日の芸術」の中で、示唆にとんだ言葉を遺している。

 

      ☆  芸術は、ちょうど毎日の食べ物と同じように、人間の生命にとっての欠くことのできない、絶対的

               な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。 

      ☆  芸術は創造です。だから新しいというこてゃ、芸術における至上命令であり、絶対条件です。 

      ☆  芸術の本質は技術であって、芸の本質は技能です。技術は常に古いものを否定して、新しく創

               造し、発見してゆくものです。 

          ☆芸術なんてなんでもない。人間の精神によって創られたものではありますが、道ばたにころがっ

              ている石こころのように、あるがまま、見えるがままにある、そういうものなのです。すなおに見

              れば、これほど明快なものはないはずです。

 

           そして、今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはな

     らない。 と、私は宣言します。と言っている。世界の芸術家としての岡本太郎の言葉であるから、

     我々のような凡人には理解できない深さがあると思うのだが、川柳を作るうえでも参考になるのでは

     ないだろうか。

 

 

 

  2・時実新子の推敲

 

      時実新子「川柳の学校」より引用。著者・杉山昌善、渡辺美輪。

 

         スイスイと空の燕も無職かな   時実 新子

 

      推敲、詩文をつくる時、あれこれ字句を考え練ることをいいます。 

      川柳も、最初に出来た句が、なかなかしっくり来ない時、推敲を重ねることは大切です。本句も、

      最初は〈せわしげに燕飛び交う日の無職〉という表現でした。時実新子は、最初の句の「子育てに

      奔走する燕と無職の自分を重ねる」ヒガミごころがしっくり来ず、推敲の結果「自分も自由、燕も自

      由」の本句にしたのです。 

      推敲で気をつけることは、あれこれいじりすぎ、句の姿はよくなっても、肝心の訴える力が殺がれて

      しまうことです。川柳は一呼吸の詩形、一気に吐いてそのままがよい場合も多いのです。

 

 

  3・松尾芭蕉の推敲

 

      名句に学ぶ俳句の骨法・上より引用。辻田克己談

 

          閑さや岩にしみ入蝉の声   松尾 芭蕉

 

      秋元不死男が『俳句入門』に取り上げていまして、初案と成案とどう違うか、初心者にわかるように

      書いてくれているのです。 

      初案では〈淋しさの岩にしみ込むせみの声〉です。次に〈さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ〉となり、

      最後に、〈閑さや岩に染み入蝉の声〉になったわけです。〉 

      大まかにいってどこが違うんだろうか。最初の二つは「さびしい」ということを露骨に表面に出してい

      ると思うのです。これはぼくは自戒もしていますし、人にもよく言うのですが、「自分の心情を生のま

      ま外に出さない訓練を積んだほうが積まないよりは俳句が上手になるよ」ということ。 

      だから、「淋しさの岩にしみ込」という言い方は「さびしい」をずっと引きずっている。つぎの「さびしさ

      や」は漢字をかなに直したくらいでは全然、変わってこない。 

      最後「閑さや」に到達して、そして、「しみ込」が「しみ入」になって、これもやはり完成したと思うんです。

      「込」はものの真髄を言葉ですくいとってないところがあるから。 

 

  4・秋元不死男の推敲

 

       1) 一句の意味が別な意味に取られる心配はないか。 

       2) 中心がはっきり掴めているか。 

       3) 用語叙法に誤りはないか。 

       4) もっと美しい正確なことばや調べはないか。 

       5) 他に類句はないか。

 

      これらの心がけは、川柳にも通じることである。自然諷詠と人間諷詠との違いはあっても、一句をよ

             り良く推敲するためには努力を無駄にはできない。とは言いながら、なかなか実行できないのが現

             実である。

 

           例えば課題の作句の時には、思い込みが生まれてしまう。

 

             ① 一句を生み出した時に、いい句だなと思ってしまう。  

               ② 他の人は、この発想をしてはいないと思ってしまう。

                 ③ 類想や類句はないであろうと過信してしまう。 

               ④ 頭から推敲の意識は持ってはいない。

                 ⑤ 推敲の仕方を掴めていない。

                 ⑥ 没句になった時に、何故かと反省はしない。

 

           まだまだ有るのだろうが、作者と選者との想いの違いは必ずあるので、後日に発表誌を読んで没句

            となった点を思考すべきなのである。それが推敲への第一歩であり、上達への階段の始まりなので

            ある。着想・組み立て・言葉選び・の大切さを感知していくのが、推敲への道程である。